縄跳び中に骨折!ヒザの骨がスカスカだった娘の病気は骨巨細胞腫

我が家の次女は足を骨折した際に骨巨細胞腫という珍しい病気にかかったのだとわかりました。うろたえるばかりだった親の私を救ってくれたのは、へこたれない娘の明るさと、力強い医師の言葉。この春、もう心配ないと言ってもらえて治療を終えました。

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縄跳びをしただけで突然の骨折

簡単ではない骨折って?

とある木曜日 小学校で縄跳びをしていた娘が、突然膝から崩れ落ちたらしい。
痛みで立ち上がることが出来ず、人前で泣くことはない我慢強い娘が大泣き。
「足を骨折したかもしれない」という連絡を教師からもらって、ダンナが慌てて駆けつけた。
近所の整形外科医院へ連れて行くと、医師は「これは簡単な骨折とは違う」と深刻顔。
紹介状を書くから大学病院に行ってくれ、とのこと。
そこには、とっても有能な医師がいる、その先生なら安心だからと、足のデータと、その有能な医師宛の紹介状を渡された。
ありがたいことに、その病院なら歩いても15分あれば行ける距離。
もう夕方なので、明日行くことにして、とりあえずその日は家で様子を見ることに。

翌日の金曜日 大学病院へ
紹介状を持って病院に行ったが、肝心なその医師は月曜日にならないと来ないらしい。
別の医師が診てくれたが、整形外科医院の医師がきっちりと巻いてくれた包帯がゆるゆるになっただけ。
月曜日まで待つしかないので、家でじっとしている。
スロープを使って段差をなくす工夫をし、回転椅子で家の中を移動できるようにしたら、片方の足を器用に使って一人で家の中をあちこち移動。
トイレと入浴は親が手助けをしたが、あとは自力で頑張っていた。

ようやく月曜日 やっと先生に診てもらえる。
検査結果が出るまでは何とも言えないが、まずは明後日から入院、ということに。ギブスは良いものに替えてもらった。

小児病棟に入院

骨折から6日目 小児病棟に入院。麻酔の説明を受けたり、CT検査を受けたり。
二人部屋に一つしかないテレビは隣の子が独占しているので、デイルームから大量にコミックスを借りたら、すぐに熱中して読み始めた。
21時。後ろ髪を引かれる思いで病室を出る。小児病棟のこの時間は泣き出す子が多い。
娘は、すがるような目を向けることもなく、ただコミックスを目で追っている。骨折するほど悪くなるまで気付いてやれず申し訳ない。
たまに「足が痛い」と言っていたのに。 習い事で足を使っていたので、その練習のせいだと思っていた。

骨巨細胞腫で膝の骨がスカスカ!

骨折から7日目 検査結果が出る。
骨巨細胞腫という病気らしい。図を書きながら先生が説明をしてくれた。
片側の膝の骨がスカスカになっていて、かろうじて薄く外側が残っているだけだと言う。
ちょっとした衝撃で折れてしまうところまで薄くなっていたので、縄跳びで着地した際に折れたのだろうとのこと。12歳での発症というのは事例がないと驚いている。
次に手術についての説明に移った。
緊張の中で慌ててメモを走らせたので、間違いがあるかもしれないが、メモにはこう残っている。

成長板や、足首を反らせたりする神経にかかっているので、気をつける
周りが腫れている 事例が少ないので慎重に行わないといけない
細胞をとって48時間かかる。液体窒素で急速30分
検査結果が良性と判断されれば手術は続行
でも悪いと判断したら、そのまま閉じてしまう
→悪いものが他に移ってしまうから
途中で呼ぶまで3時間待つ

悪性だった場合はどうするのかを聞いたと思うのだが、メモにも記憶にも残っていない。
それだけ動転していたのだろうか。
とても有能な医師だということはよくわかったし、真剣に向きあってくれているのもすごく伝わった。
「大丈夫!これでもすごく腕はいいんですよ」と笑ってくれる医師に賭けてみるしかないと腹を決めた。

良性なのか悪性なのかが問題!

長時間の手術開始

手術当日 みぞれまじりの雨の中を病院へ。
前日のうちに娘はさまざまな準備を済ませていた様子。
説明を受け、同意書を書く。
手術の際の音楽を選べると言うので、娘が「ディズニー」をリクエスト。
手術室の前まで付き添うと、医師や看護師がアロハシャツのような明るい色の服を着ている。音楽といい、服装といい、患者の恐怖を和らげる工夫があるのだろう。

娘を送り出した後、ダンナと二人、小児科病棟のデイルームでひたすら待った。
悪性だったらどうしよう。
足をそのまま残せるのだろうか、癌化しないのだろうかなどと色々考えてしまう。
怖くて、ネットで情報を集めることすら出来ない。
沈黙が続く。

待つ間に、同じ小児病棟内のデイルームにいる人たちの話が聞こえてきた。
どれもが深刻で、苦しんでいるのが伝わる。

手術の結果もわからないうちから深刻になってもしようがない、ウチは病院が近いだけでも超ラッキー。
きっとなんとかなる!
そう前向きになれた頃に「終わりました」と連絡が入った。

医師が説明してくれた。
良性か悪性かを確実に見極めることはできなかったとのこと。

「私の独断により、良性であるという認識のもとに中身を掻爬して閉じた。
人口骨を入れたので、これでいつもの生活に戻れる。
組織は、私が絶大なる信頼を置いているところにも届けて、そこでも検査をしてもらう。
今後、ほかに影響がないかどうかを慎重に観察していかないといけないが、
それ以外は非常にうまくいった。膝の機能にも全く問題はない。
心配かと思うが、私の感触としては、良性である確率がずっと高い。」

医師は、そう話してくれた。

結果は良性!

手術翌日
確実な結果は出ていないとはいえ、あとは快くなるだけだと信じることにした。
ダンナは、初めにお世話になった整形外科医院の医師にお礼と報告をした後に小学校に行き、担任や保健室の先生に説明。あちこち出向いた後に病院へ。
私も娘の習い事の先生にメール。足を使うのは心配なので、娘の意思を確認した上で退会することに。
夕方にダンナと入れ替わりで面会に行くと、痛みが我慢できないのか泣いていた娘は、私の顔を見たら「痛い!痛い!」と言いながら暴れ始めた。全身使ってベッドの上から私に突進してくる。泣いて怒って暴れて、疲れた頃に痛み止めがようやく効いてきたらしい。
眠ったのを見届けて帰宅。

手術から2日
点滴もおしっこの管も外れて身軽になった娘は機嫌がよくなっていた。
34巻もある長編マンガも読み終えてしまい、音楽に合わせて踊っている始末。
検査の結果「良性」とわかったので、気持ちが晴れ晴れ!

手術から8日 
退院
その後の数日間は、レントゲンを撮りに行ったり、近所の整形外科医院でリハビリで足を動かしたりするが、ほとんどは家の中。

小学校にも行けるようになる

手術から3週間 
久しぶりに小学校に登校。先生からの説明をちゃんと聞かない友達には、中学受験で休んでいたと思われていたらしい。(ちょうどその時期)
受験をする子だったら、この時期の骨折は地獄だったろうなぁと思う。

手術から1カ月半
検査結果は良好。自転車に乗ってもいいと言われたとか。卒業遠足にも出掛けて行く。

手術から2カ月と10日
CTとレントゲンを撮る。今のところは何も異常はないとのこと。

順調に回復

中学校入学
学校への提出書類には健康について記入する箇所が3箇所もあり、骨巨細胞腫のことを書かないわけにはいかないかと思い、簡単に記入。
入学後に保健室の先生に会ったら質問攻めにあう。
体育の授業など日頃の行動に制約はないと言われていると話したが心配そう。
親としても「何をしても大丈夫」とは言い切れない不安はあるので、歯切れが悪い。

毎月の検査はそのたびに「異常なし」

手術後7ヶ月
夏休み中に行った検査では骨が陶器のようにしっかりと固まってきているとのこと。次は冬休みに診てもらえばいいとの話。

その後
長い休みの時に診てもらうだけ。「だいぶ骨がしっかりしてきた」と順調に回復。
何年かそうやって診てもらい、7年たったこの春、もうこれで終わりでいい。何も問題ない、と言ってもらえた。
小学生だった娘も大学生になり、夜遅くまでアルバイトをしたり、好きなアーティストのライブに遠征したりと忙しい。
あの時期をタフに乗り越えた娘は、そのままたくましく育っている。

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