回り道をしたがインテリアを学ぶことに。学ぶ姿勢も本気になった

私の娘たちも、自分の将来を具体的に考えないとならない時期に来ている。
でもなかなか定まらない。「こういう仕事が出来たらいいなー」はあっても、ハードルの高さに怖気づいている。

私も自分の将来を描けなくてウロウロした。インテリアの道に進もうと決めたものの、まっすぐそこに向かったわけではない。

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インテリア関係の仕事への憧れ

まずは学校で学ばないと

高校生の頃、自室を模様替えするのが好きだった。出窓を飾ったり、本棚を手作りしたり。
インテリア関連の本を眺めている時間が一番ワクワクした。
同じ学校の子はみんな大学に行くために受験勉強を始めていたが、自分の得意科目を活かしてどこかの学部を狙うにしても、どこもピンとこない。

インテリアデザイナーになりたい、という気持ちが芽生えた。目的のないまま文学部などに行くよりもずっと道が見えた気がした。
インテリアデザイナーになるにはどうしたらいいんだろう。美大に行くのが一番良さそうだった。
でも実技試験には太刀打ちできる気がしなかった。デッサンなんてやったことがない。
もう準備期間も無い。思いついたのが遅すぎる。高3の夏だった。

専門学校という選択

大学・短大、という意識しかなかったが、専門学校という選択肢もあると気がついた。
取り寄せたパンフレットを見比べて、気に入った1校を選び出した。

創立記念日だったか何だか記憶にないが、学校の無い平日の休みに電車に3時間揺られ、一人でフラリとその学校に行ってみた。その学校の事務長が応対してくれた。
ニコニコと熱心に私の話を聞いてくれたその人は言った。

「女の子はまだまだインテリアデザイナーを目指す子は少ないんですよ。内容が難しいしね。業界も欲しがらない。女の子はグラフィックかテキスタイル。特にグラフィックは人気がありますね。」

インテリアは無理なのか

女の子はインテリア業界には入れない?そう解釈をして、どーんと落ち込んだ。
親にお金を払わせて学校に行っても、就職がうまくいかなかったら申し訳ない。

学校そのものは気に入ったので、他を見ようとは思わなかった。そこで決めたい。
グラフィックデザイン科で勉強をして、絵本の装丁などをするのも楽しいような気がしてきた。
校内に貼ってあった在校生の作品に影響を受けたのだと思うが。

よし!グラフィックにしよう!

グラフィックデザインを学ぶ

進路決定

グラフィックデザイン科に願書を出すことにした。
住む場所は学生会館で決めかかっていたが、同じクラスの子の申し出で、その子と一緒にアパートを借りて住むことにした。これで少しは安く済む。

ここまで勝手に決めてから親に報告。
ウチの親は寛容なのか何なのか、事後報告でも一向に気にしない。
「そうか。専門学校か。一緒に住む子はどこの子だ?挨拶に行かないと」としか言わなかった。

こうして都内のデザインの専門学校に入学。2年間グラフィックデザイン科で過ごした。
授業はそれなりに面白かったが、デッサンを本格的に学んで来た子に混じって、成績は振るわなかった。
就職はなんとか決まったものの、学業に意欲的に取り組む人間にはなれなかった。

担任が「どうするんだよ~、卒業制作このままだとマズイだろ~」とオロオロして、かなり手伝ってくれたおかげで卒業できた。

そして就職

正社員で入ったちっぽけな広告代理店は半年で倒産。
そこの人が紹介してくれたデザイン事務所で働き始めた。
アルバイトという立場だったので健康保険にも入れず、ずっといるつもりはなかったものの、どうしたらいいのかもわからない。来た仕事をこなすだけの日々。

インテリアコーディネーター資格との出会い

ひさびさのワクワク感

ある時、ミサワホームのパンフレットを参考にしながらイラストを描くことになった。
パンフレットには、ゆったりとしたリビングやベッドルームの写真がふんだんに使われていた。インテリアに関係するものを見たのは久しぶり。
すごい衝撃だった。このワクワク感を長いこと忘れていた。

そのパンフレットの中のページに書かれていた言葉が私の行く末を決めた。

通産省(現在の経済産業省)が認定する「インテリアコーディネーター」という資格がある

勉強をして資格を取れば、私にもインテリアの仕事ができるかもしれない!
どうやって勉強をしよう?

独学は考えられなかった。インテリアは内容が難しいと言われた言葉が引っかかっていた。
卒業して数ヶ月。これまで働いた貯金だけでは学費にならない。でも親には頼りたくない。

学費を貯めなければ!

それまでより少し時給が高いアルバイトに移った。印刷会社で印刷原稿を作る仕事。
そこには専門学校時代の友人がいて、その子もコピーライターになる夢を持って学校に行き直そうとしていた。
2人でお弁当作りを分担し、ある時は一人がご飯だけを用意、もう片方がおかずだけを用意、などと慣れない料理も頑張って節約。
早朝バイトも2人でやった。コンビニでおでんの用意をしたりしてからアルバイト先に出勤。帰りはコピーライターの講演会を一緒に聴きに行ったり。

同じように頑張る友人がいたおかげで意欲が持続でき、学費のうちの初回納入分に少し足したぐらいの金額が貯まった。
こうしてインテリアの専門学校に入学。2年間学ぶことになった。
残りの学費は働いて貯めないといけない。学びながらアルバイトもした。

インテリアデザインを学ぶ

アルバイト先に感謝の毎日

授業はたいがい半日だけだったので、昼に学校を出るとアルバイト先のある銀座で下車。
ドーナッツ屋で昼食を簡単に済ませてから勤務先に行った。
アルバイトは、友人と働いていた印刷会社の人に紹介してもらったものだった。「午後からでもいいラクな仕事があるよ。時給はオレのところと同じだけやってくれと言ってあるから」という神条件!

そこは「仕事がそれほど無い時は勉強に必要なことをやっていていいよ。出掛けて来てもいい」と涙が出そうなことを言う社長のいるデザイン会社だった。こうやって書いていても、なんて自分は恵まれていたんだろうと思う。

そのデザイン会社は銀座伊東屋の裏にあった。画材を買うには便利すぎる立地。
課題を作成するためのボードやマーカー、模型材料などは勤務前に買うことが出来た。
ある程度長く出掛けていられる日は、TOTOやINAXなど、銀座にあるショールームにも行けた。
インテリア売り場や興味深い展示スペースのある松屋銀座も目の前!最高の環境で働かせてもらっていた。

課題に夢中で睡眠不足

学校は、高校を出て入った人が多かったが、年齢が上の人もかなりいた。22歳の自分だけが歳を食っているわけではないのが嬉しかった。
今度は自分で学費を払っているせいか、課題にも本気で取り組んだ。
寝不足過ぎて、学校に行く電車の中でつり革につかまったまま寝るのは日常。
ある時は、揺れた拍子に、前の座席のおじさんのひざの上に座ってしまった。寝ていたからこその失態。

学校の課題で「人物観察」というのがあった。
電車の中や街中で、そこにいる人を観察し、職業や生活環境など、思い浮かぶことを文章にするというもの。
インテリアコーディネーターとして仕事をするには、それも大事なのだろう。ただ、これが苦手だった。観察する前に寝てしまう。なのでこの課題は、コピーライターの勉強中だった友人に代わりにやってもらっていた。

プレゼンボードを作るのは得意だった。グラフィックの勉強をしたことが役立ったのだ。
グラフィックの学校時代は落第生だったのに、ここではプライドがあって手を抜けず、全力でやったのも良かったのかもしれない。
回り道をしたことが、ここではプラスに働いたのだと思う。

行きたい会社への就職は難しい

グラフィックの学校時代と違って成績も悪くなかったので、就職も希望通りのところに行けるかと期待した。ところがここで撃沈。
学校に来た求人の中に、すごく行きたい企業はあった。でも年齢制限があった。
25歳から採用となっている。24歳の誕生日を目の前にしていた私には悔しいだけしかない。

仕方なく、ハウジングメーカーに応募をしようとしたら「就職経験のある人はお断り」と言われてしまった。
新卒じゃないかーー!一回社会に出ていることで蹴られるなんて!!

ようやく見つけた就職先

もうヤケクソになった。
新聞に載っていた新卒の求人を見つけた。家具店だった。
高校を卒業して友人とアパート住まいをしていた頃、いつもその店の横を通って専門学校に通っていた。
ここは身近な気がする、それだけの理由で応募。
面接には、大きなプレゼンボードを「学生時代の最新の作品」として抱えて行った。
でもそれを見た面接官は一言「これ、スペルが間違ってるよ」

大きな文字で装飾的に書いた英語のタイトルは、確かに間違えていた。自分はもちろん、先生もクラスの人も気付かなかった間違いを、ひと目で見抜いた面接官・・・
恥ずかしさももちろんあったが、なぜかそれで感動。内定をもらえたので、迷わずそこに決めた。

こうして、ずっとやりたかったインテリア関連の仕事に就いたのだった。

次の記事へ >> インテリアプランニングの仕事に抜擢!でも案内係に戻りたかった

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