現実を直視する住居選びは、胸に刺さる痛みに耐えながらの作業だ

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住みたい街。

住みたい街。この話題で娘たちと盛り上がることがある。
代官山だの青山だの言っているうちは、ものすごく楽しい。

そのうち家賃が無理だ、とか、ご近所と釣り合わなくて浮いちゃうとか、現実的なことを考え始めてしまう。
妄想しているだけで面白いはずが、現実と照らし合わせてしまうのだ。

そこで住みたい街は多少シフト。
学芸大学、尾山台、武蔵小山、大岡山、大井町。

少しは自分たちの生活レベルに寄せたつもりで、また嬉々として名前を挙げる。

でもやっぱり現実には無理なような気がする。
だんだん悲しくなり、別の話題へと切り替わる。

私たち家族には何年先も大丈夫!と言える貯金がない。引越ししたくても審査で通らないのだ。


(c) .foto project

前は楽観的だった。
審査の厳しさをわかっていないまま、場所を聞いただけで嬉しくなってしまうようなところで物件を決めようとした。その結果、撃沈した。

最寄駅は山手線のお洒落な側(語弊あるかな)。
駅から8分歩いただけでのどかな雰囲気になり、緊張しながら外を歩く雰囲気なんか全然ない。庶民的な商店街にも歩いて行ける。

ウチの予算から多少アップしたぐらいの破格の安い家賃だったのは、定期借家だったから。
その分、審査も厳しかったということ。


(c) .foto project

なのに不動産屋さんに書類もらって書き込んだ時点で決まったような気になって浮かれてしまっていた。
あー、身の程知らずだった…
…と悲しんでしまう自分にもモヤモヤ。

身の程、って何だろう?
自分たち家族の収入や地位や生活レベル、それらは確かに高くはない。高くはないどころか、かなり低い。
身の程にあった住居を選ぶしかないと言ったら夢なんて持てない。
でも、身の程にあった選択をしないと審査にも落ちるし、いつか破綻するかもしれない。
シビアだ。
現実を直視しないと出来ない住居選びは、胸に突き刺さる痛みに耐えながらの作業なのだ。

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